これから囲碁を学ぼうとするあなたへ

2017/03/01

最近話題の囲碁AI(人工知能)や、ヒカルの碁を読んだことがあって、これから囲碁をやってみたいとか、もっと強くなってみたいと考える人も多いのではないでしょうか。囲碁を学ぶ方法は、インターネットにはたくさん情報があるし、本も多くああります。また、いわゆる囲碁サロンや碁会所ではなく、スマホアプリを使って無料で対局もできるようになりました。周りに囲碁ができる人がいなかった昔に比べて、独学したい人には良い時代になりましたね。始めるのはとても簡単になりました。

一方で、挫折する人も多くいることが想像できます。情報が多くありすぎて、学び方ひとつとっても様々なことを言っていますし、入門本などを読んでみても、じゃあ対局することになったときにどこから打っていいのか、いまいちわからなかったりします。ましてや、最強の人工知能が出現したことによって、今までのセオリーが崩れつつあったりして、混乱している人もいるかもしれません。

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囲碁を手っ取り早く学べる方法などあるのでしょうか。これは、正解のない問題です。人によるし、囲碁を始める理由やきっかけにもよります。そもそも、どこまで出来たら囲碁が打てるようになったと言えるのでしょうか。

ぼくの場合、囲碁を始めたのはヒカルの碁を読んだのがきっかけです。子供でもインターネットが少し使える時代に、ルールを一つずつ理解していきました。子供だったから、果たして理解していたかどうか怪しいものですが、学ぼうという感じではなく、とにかく打って打って試してみるのが楽しくて没頭していました。

あとはひたすらインターネット対局場で、一回も会ったことのない人と打ちまくっていました。夏休みは一ヶ月部屋に引きこもって、深夜まで(ひどいときには朝まで)対局とチャットを繰り返しながらパソコンの前に入り浸っていました。

気づいたら初段レベルになっていたのですが、初段になるまでに実は正しい道筋があったのか、もっと効率的な方法があったのか、今となってはわかりません。ですが、打っていたこと、楽しんでいたこと、没頭していたことが、囲碁有段者になるうえで大事なことだったのではないでしょうか。そこに正解はありませんが、共通する考え方はありそうです。

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前提としては、囲碁は知識だけで打てるようになるものではなく、経験によって打てるようになるものだということです。経験するために必要な知識はあるにせよ、いかんせん経験を積まないで打てるようにはなりません。

囲碁の場合は、変化数が宇宙にある原子の数以上にあると言われていますし、相手がいるゲームですから、知識があるだけでは役に立ちません。例えば、どれだけ自転車のことに精通していたとしても、練習をしなければ自転車に乗ってどこかへ行くことができないのと同じです。

囲碁は基本的にはスポーツやアートと似ています。ですので、時間をかけて繰り返し練習をしなければ、棋書(囲碁の本)やセオリーを一通りこなしただけでは役に立ちません。自分の手で実際に打ってみて、相手がどんな対応をしてくるのかを見て、たくさん打ち続けたほうがいいでしょう。

勉強も大事ですが、そのあとの練習こそが重要です。何度も打って試しているうちに、ある程度パターンが身について、より素早い判断ができるようになっていきます。少しずつ出来るようになると、盤上をコントロールしている気分が味わえてとても楽しいはず。そうした習熟の喜びも、スポーツやアートに似ていますね。

そしてやはり、誰よりも練習した人が、どんどん強くなっていくのも同じでしょう。ただ、どんなスポーツやアートも最初は遊びから始まります。まずは遊ぶ気持ちから始めてみましょう。

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この「遊ぶ」っていうのが非常に大事なんだと思っています。遊んでいたら気づいたら上手くなっていた、というような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。それが大人になると、目的思考やらなにやらで、遊ぶっていうことをすっとばして「何かのために」それに取り組むことになってしまい、結果あまりうまくなれずに終わってしまうことになります。

結局、楽しいこと、好きなこと、没頭できることがスタートであって、そのあとに、ぼくだったら囲碁のプロを目指すためにもっと強くなりたいであったり、もっとスピードを出したいとか遠くに行きたいから自転車の乗り方にこだわったりしていくのです。

なので、「囲碁の石をかっこよくつかんで、きれいに打つこと」に全力をかけるのもありだったりします。実際ぼくは、自分がかっこよく打てることを見せつけるために対局していた時期もあったし、それが自然と対局経験をたくさん積むことにもなっていました。

これから囲碁を始めようと思っている人や、強くなれなくて伸び悩んでいる人は、遊ぶことから始めてみましょう。遊んでれば自然と工夫したりこだわったりするようになり、気づいたら「打てるようになっていた」となるはずです。